ギブ、ギブ、ギブ…&テイク  (Give,give,give…& take)

 極楽浄土と地獄の違い(中国の仏教説話)
・極楽と地獄、どちらの世界にもご馳走はふんだんに用意されています。
・でも、それを食する手段は1メートルもの長さの箸だけです。

<地獄では>
 地獄の亡者たちはその箸を使って何とか食べ物を口にしようとするけれど、もちろん上手くいくはずがありません。 だからいつも飢餓感に苦しんでいる。 目の前のご馳走が食べられない恨みが募るばかりです。
<極楽では>
 ところが極楽の住人たちはといえば、「どうぞ召し上がれ」とお互いに食べさせあっているからいつもお腹いっぱいです。 和気藹々と心も平安そのものです。

さて、この伝からいって現代の日本は、極楽か地獄か?
 どちらかというと地獄寄りかなと答えざるを得ないでしょう。
 いつの頃からか、わたしたちは1メートルの箸を持ったまま、心に飢えや渇きを抱えた孤独なわたしであることを選択してしまったように思えます。 今の世の中、ギブ&テイクならぬテイク&ギブの精神がまかり通っています。 つまり先に何かをしてもらいたがっている自分がまず先にあります。

「あなたが○○してくれたら、わたしも××してあげる」

 誰かが長い箸で自分の口に食べ物を入れてくれる日を待っている。 自分から誰かに食べさせてあげるという発想がないから、みんなお腹をすかせたまま、ただぼんやり立ち尽くしている そんな淋しい光景でいいのでしょうか?

さて私たちはどうあるべきなのでしょうか
 まず「ギブ」、与える。人に何かをして上げてから、「テイク」、何かをお返ししてもらえることがあるという姿勢が大事なのだと考えます。
 与えると返しがある、を前提とするよりも、与えることでお返しがあるかもしれない程度の姿勢が、人として豊かな心ではないかと考えます。 この姿勢があたりまえのように多くある社会は豊かな社会といえるのではないでしょうか。
 つまり、施し、奉仕があって、幸せが返ってくる、という考え方が大事なのでしょう。
 他人になにかを捧げることで自分に幸せがもどってくる、それによって行をする。この考え方が、仏教でいう「布施行」なのです。
 はたして日本はどうでしょう…?

その視点で私たちの仕事についてみると
 私たちの仕事は、身体が弱り、もしくは障害を有し生活に不自由を感じだしている人、心が弱ったり病んだりしている人たちを相手にしている仕事です。 そういった場合には、私たちには常に相手に働きかける心と姿勢、行動が備わっていなければなりません。
 「ギブ、ギブ、ギブ…」その後にテイクがあるかもしれませんし、ないかもしれませんが、それでも「ギブ、ギブ、ギブ…」なのです。
 その「ギブ」も、笑顔で、見る、看る、診る、聞く、聴く、そして気づく。さらに求めるものを与えることが出来る、という行動のことです。そういう行動のできる人が、このサービス業という仕事の適性・資質があるということなのでしょう。

まず“Forの精神”を持って
 まず誰かに長い箸でその相手の口に食べ物を入れあげることから始めましょう。
 自分から誰かに食べさせてあげるという行動、みんなのお腹を満たし幸せにするという発想により、社会が豊かになっていくのです。
 そんな温かで豊かで幸せな光景を、私の身近なところから是非とも見たいものです。
“forの精神”をもって、淋しい立場にいる人々に極楽の光景を、そこまで言わなくても、その契機(きっかけ)を提供しょうではなりませんか?
  
 ギブ、ギブ、ギブ・・・・・&テイクに感謝!!

(豊崎由美:「エンジェル(石田衣良)」解説.集英社文庫:p296-297.2002より一部引用)